月曜の朝、エントランスを通ると、掲示板に見慣れない紙が貼ってあった。
小さな、メモ用紙くらいの紙だ。掲示板には、いつもは管理組合のお知らせとか、ゴミ出しの案内とか、そういう事務的なものしか貼っていない。その端のほうに、手書きの文字で、こう書いてあった。
「水曜 たぶん雨」
たぶんって何だ、と思った。天気予報なら、降水確率とか、そういうのがあるだろう。たぶん、では、あまりに頼りない。誰かのいたずらか、書き置きの類かとも思ったが、それにしては、律儀に曜日まで書いてある。私は少し眺めて、そのまま出勤した。
その週の水曜がどうだったかは正直覚えていない。
翌週の月曜。
また、紙が貼ってあった。
「木曜 かなり暑いと思う」
同じ筆跡だった。少し丸い、女性のような、あるいは年配のような字。天気マークもなければ、気温の数字もない。かなり暑いと思う、という、個人の感想みたいな予報だ。
その次の週は「金曜 夕方から怪しい」。またその次は「火曜 風が強いかも」。毎週月曜の朝に、一枚。曜日を一つだけ指定して、曖昧な予報を書いていく。誰が、何のために貼っているのか、私には分からなかった。
一度、掃除に来ていた管理人に聞いてみた。
「あの掲示板の、天気の紙、あれ誰が貼ってるんですか」
管理人は、ああ、という顔をした。
「住人の方でしょうねえ。私じゃないですよ。前からたまに貼ってあるんです」
「前から、ですか」
「ええ。まあ、悪さするわけでもないし、そのままにしてます」
管理人も、詳しくは知らないらしい。禁止されている様子もない。紙は、貼られてから数日すると、いつの間にかなくなっている。剥がしているのが本人なのか、別の誰かなのかも、分からなかった。
そのうち、私は月曜の朝になると、掲示板を見るようになっていた。
今週は何曜日だろう、何て書いてあるだろう、と、少しだけ気にする。べつに、生活に必要なわけではない。スマホを見れば、正確な予報はいくらでもある。それでも、あの手書きの一枚を見るのが、なんとなく習慣になっていた。
ある週、紙にはこう書いてあった。
「水曜 傘あった方がいいかも」
その水曜、私は少し迷って、折り畳み傘をバッグに入れて出た。予報アプリは、降水確率四十パーセントくらいだった。夕方、会社を出るころ、ぱらぱらと雨が降ってきた。傘を差しながら、当たった、と思った。あの紙のおかげ、というほどでもないが、なんとなく得した気分だった。
かと思えば、外れる週もあった。
「土曜 晴れるはず」と書いてあった週は、朝からしっかり雨だった。晴れるはず、が、まるで違った。私は窓の外の雨を見て、一人で少し笑った。はず、って言ってたのにな、と。当たったり外れたり、精度は、半分くらいだった。
ある月曜、掲示板に紙がなかった。
管理組合のお知らせだけが、ぽつんと貼ってある。天気の紙は、どこにもない。剥がされたのか、今週は書かれなかったのか。私は思っていたより気になった。
とはいえ、書き手を探そうとは思わなかった。住人に聞いて回るのも、なんだか違う。ただ、いつもあるものがないと、少し物足りない。それだけだった。
次の週も、なかった。
二週続けてないと、さすがに、もう終わったのかな、と思った。誰かの気まぐれで始まって、気まぐれで終わる。そういうものかもしれない。
ところが、その次の週。
紙が、戻っていた。
「今週 よく分からない」
私は思わず笑ってしまった。曜日の指定すらない。よく分からない、とだけ書いてある。二週も休んで、復帰第一作がこれか、と思うと、なんだかおかしかった。書いた人が、どういうつもりなのかも、やっぱり分からない。分からないままだ。
それからも、紙は、また週に一度のペースで貼られるようになった。相変わらず当たったり外れたりする。相変わらず、誰が書いているのかは知らない。
今朝も、出勤前に掲示板を見た。
新しい紙には、こう書いてあった。
「今日はたぶん大丈夫」
私は、エントランスのガラス越しに、外を見た。空は、晴れとも曇りともつかない、微妙な色をしている。大丈夫、と言われても、この空では、どちらとも取れる。
少し考えて、私は折り畳み傘を、バッグに入れた。
そのままバッグを持ち直して、外へ出た。

