女性の連絡先消して

夕飯を食べ終わって、二人でだらだらテレビを見ていたときだった。

「ねえ」と美咲が言った。「女性の連絡先、全部消してくれない?」

俺は一瞬、聞き間違えたかと思った。

「全部?」

「全部」

美咲は真顔でもないし、怒っているわけでもなさそうだった。ただ、なんとなくそういう気分になったらしい。さっきまでの話の流れで、俺が昔の友達の話を軽くしたのが、少し引っかかったのかもしれない。

深刻な空気ではなかった。だから俺もまあいいかという感じでスマホを取り出した。

「じゃあ、開くよ。連絡先」

「うん」

連絡先の一覧を開いた。あいうえお順にずらっと名前が並んでいる。上から順にスクロールしていって、俺は最初の一件でもう手が止まった。

「これ、母さんなんだけど」

「お母さんは違うでしょ」

「あ、そう。女性ではあるけど」

「そういうことじゃないでしょ」

まあ、そうだ。母親は消さない。次にスクロールすると、妹の名前が出てきた。

「妹は?」

「妹も違う」

「これも女性なんだけどな」

「屁理屈やめて」

美咲が横から画面を覗き込んできた。俺は別に意地悪をしたいわけじゃない。ただ、「女性の連絡先を全部」と言われて実際に開いてみると、どこからが対象なのか、本当に分からなくなってきた。

次に出てきたのは、会社の上司の名前だった。女性の課長だ。

「これは、うちの課長」

「仕事の人?」

「うん」

「仕事は……まあ、違う」

「じゃあ残していいんだ」

「仕事ならいいでしょ、さすがに」

なるほど、と俺は思った。母、妹、仕事関係は除外。だんだん条件が見えてきた。その調子で進めていくと、また止まった。

「これ、取引先の担当さん」

「それも仕事でしょ」

「うん。あと、これは同じ部署の女性の同僚」

「……同僚も、まあ仕事か」

美咲の声が少しずつトーンダウンしてきた。仕事、仕事、で消せないものが増えていく。俺は淡々とスクロールを続けた。

「美容室の担当さん」

「それは誰」

「髪切ってくれる人。予約するのに登録してる」

「……それは、いいでしょ別に」

「これは、不動産屋の人。今の部屋の契約のとき」

「もう連絡取ってないでしょ」

「取ってない。けど、消す理由もなくない?」

美咲は少し黙った。理由もなく消すのも変だし、かといって残す理由も薄い。宙ぶらりんな連絡先だ。俺たちはしばらくその不動産屋の担当をどうするか無言で見ていた。

「……保留」と美咲が言った。

「保留でいいの?」

「いい」

そのうち、俺自身もだんだん別のことが気になってきた。スクロールしていくと、何年も連絡していない名前がやたらと出てくる。

「これ、誰だろ」

「え、自分の連絡先でしょ」

「名字だけ登録してあって、思い出せない。タナカ、としか」

「男? 女?」

「分かんない。タナカ、だけだから」

これはもう、女性かどうか以前の問題だった。俺は「タナカ」を性別不明のまま、とりあえず消した。今回の件とは関係なく、要らない連絡先だ。ついでに、ほかにも心当たりのない名前を何件か消した。

「それ誰?」

「分かんない」

「分かんないのに登録してたの?」

「昔の俺が登録したんだよ。知らないよ」

美咲がちょっと笑った。話の主旨が、だいぶずれてきていた。女性の連絡先を消す話が、いつの間にか、俺のスマホの大掃除になっている。

しばらくそうやって整理していると、美咲が画面のある名前のところで、ふと目を止めた。

「……その人は?」

スクロールが、ちょうど「ユカ」というところで止まっていた。俺が学生のころ、よく一緒に遊んでいた友達だ。異性ではあるけど、それだけの関係で、もう長いこと会っていない。

「ああ、これは昔の友達。ユカ」

「この前、なんか連絡来てなかった?」

来ていた。何ヶ月か前に、共通の友達の結婚の知らせで、グループっぽいメッセージが回ってきたのだ。たぶん美咲は、そのとき通知をちらっと見たんだと思う。

そこで、なんとなく分かった。美咲が本当に気にしていたのは、たぶん「女性全員」じゃなくて、この一件だったんじゃないか。

俺はそれを言葉にはしなかった。言うとなんだか掘り下げすぎる気がした。

「これは、消してもいいけど」と俺は言った。

美咲は少しの間、画面を見ていた。それから、自分でも少し呆れたような顔をした。

「……なんか、私、すごい大きい括りで言ったね」

「うん。母さんまで対象になってた」

「お母さんは最初から違うってば」

美咲はそう言って、ソファに背中をあずけた。さっきまでの、消して、という感じは、もうどこかへ行っていた。

「じゃあ結局、誰を消せばいいの」と俺は聞いた。

美咲は少し考えて、それから言った。

「……もういい」

「もういいの?」

「もういい。なんか、疲れた」

俺は「了解」と言って、スマホを置きかけた。置きかけて、ふと画面に残っていた名前が目に入った。

「あ、これは? マユミって書いてある」

「もういいって」

「いや、これ俺も誰だか分からなくて」

「……それは消していいでしょ、普通に」

結局その夜、俺たちは「女性の連絡先」の話はそっちのけで、正体不明の連絡先を二人で仕分けし続けた。ユカの連絡先は、消すでも残すでもなく、そのままになっていた。

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