いつものカフェのいつもの窓際の席に座ると、麻美が言った。
「あなた、本当にこの店好きだよね」
俺はコーヒーを頼もうとしていた手を少し止めた。
好きだよね、と言われても、正直、俺はこの店が特別好きなわけではない。悪くはない。でも、自分から通いたいというほどでもない。ここに毎回来ているのは、麻美が好きだと思っていたからだ。
「いや、俺は、麻美がこの店好きだと思って来てたんだけど」
麻美が、きょとんとした顔をした。
「え? 私?」
「うん。最初来たとき、こういう店好きって言ってたじゃん」
麻美は、少し考えて、それから、あ、という顔になった。
付き合い始めて、二か月ちょっと。最初のデートで、たまたま俺がこの店を選んだ。ネットで、無難そうなカフェを探して、予約したのだ。そのとき麻美が「こういう店、好き」と言った。だから俺は、この人はこういう店が好きなんだ、と思って、それ以来、毎回ここを提案していた。
「あれ、こういう店好きって言ったけど」と麻美が言った。「別に、すごく好きってわけじゃなくて。嫌いじゃない、くらいの意味だったんだよね」
「え」
「あなたが毎回ここ選ぶから、この店、好きなんだなって思ってた。だから合わせてたっていうか」
俺たちは、少し黙った。
つまり、こういうことだ。俺は麻美が好きだと思って、この店を選び続けた。麻美は俺が好きだと思って、それに付き合っていた。二人とも、相手のために、特別好きでもない店に、二か月間、せっせと通っていた。
「なんだそれ」と俺は言った。麻美も、口を押さえて笑っていた。
そうなると、ほかにも心当たりが出てきた。
「じゃあ、いつも紅茶頼んでるのは」と俺が聞いた。麻美は、来るたびに、ここのダージリンを頼んでいた。
「あれも、あなたが好きそうだったから。私、本当はコーヒーのほうが好き」
「俺もコーヒーだよ、普段」
二人とも、コーヒーが好きなのに、なぜか片方が紅茶を頼んでいた。理由は、やっぱり、相手に合わせていたから、らしい。
散歩のコースもそうだった。カフェのあと、いつも川沿いを歩いていたのだが、あれも、俺が「麻美は川が好きそうだ」と勝手に思って、毎回そっちへ誘っていた。麻美は麻美で、「彼が川好きなんだろうな」と思って、ついてきていた。二人とも、大して川に興味がなかった。
「私たち、気を遣いすぎじゃない?」と麻美が言った。
「まあ、まだ二か月だしな」
付き合い始めて、そんなに経っていない。まだ、お互いに遠慮が残っている。それが、こんな結果になっていた。
「じゃあさ」と麻美が言った。「本当は何が好きなの?」
聞かれて、俺は意外と困った。改めて考えると、じゃあ俺は何がしたいんだ、というのが、すぐに出てこない。
「……なんか、普通の定食屋とか。がっつり飯食えるとこ」
「あー、意外」
「意外か?」
「うん。もっとおしゃれな店が好きなのかと思ってた」
麻美のほうは、古い喫茶店が好きらしかった。純喫茶っていうの、ああいうところ、と言った。それは、俺の「定食屋」とは、少し違う。全部が一致したわけではなかった。ただ、お互い、相手が思っていたのとは、ちょっと違う人だった、というだけの話だ。
コーヒーを飲み終わって、店を出た。
「で、このあと、どうする?」と俺は聞いた。それから、少し思い直して、言い直した。
「今日は、本当に行きたいとこ言ってよ。合わせなくていいから」
「うん。そっちもね」
そう言い合って、二人とも、しばらく黙った。
いざ「本当に行きたいところ」と言われると、これが、すぐには出てこない。二か月、相手に合わせる癖がついていたせいか、自分の希望を口にするのが、なんだか照れくさい。
「……定食屋?」と俺が言った。
「じゃあ、そのあと純喫茶」と麻美が言った。
結局、両方行くことになった。
前より、少し欲張りな予定になった。でも、そのほうが、俺は気が楽だった。

