若い男性が私にだけ席を譲った理由

階段を上がってホームに出ると、じりじりと暑かった。真夏の昼過ぎで、屋根のない部分には容赦なく日が差している。

ベンチはほとんど埋まっていた。仕方なく端のほうに立って電車を待とうとしたとき、ベンチに座っていた若い男性が、こちらを見た。二十代くらいの、細身の男の子だ。

その人が、すっと立ち上がった。

「どうぞ」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。私は、あ、と間の抜けた声を出して、それから反射的に「ありがとうございます」と言って、その席に座った。男性は、少し離れたホームの先のほうへ歩いていった。

座ってから、じわじわと気になり始めた。

なぜ、私に譲ったんだろう。

まわりを見ると、ベンチには他にも人が座っている。立っていたのは私だけではない。それなのに、あの人は、わざわざ私を選んで立った。何か、理由があったはずだ。

疲れて見えたんだろうか。そういえば、今朝あまり寝ていない。顔色が悪かったのかもしれない。それとも――と、そこで、いやな考えが浮かんだ。

年配の人だと、思われたんだろうか。

私は四十代前半だ。自分ではそこまでおばさんだとは思っていない。でも、若い子から見たら、どうなんだろう。席を譲るべき年齢に、もう見えているんだろうか。

スマホを取り出して、黒くなった画面に、自分の顔をちらっと映してみた。別に、いつもと変わらない。髪も、そんなに乱れていない。服も普通の、休日の格好だ。荷物だって、小さなトートバッグ一つで、重そうには見えない。

どこにも、席を譲られる要素がない。ないのに、譲られた。

四十代って、もう、そういう年なのか。自分でも、何をこんなに気にしているんだ、と思う。たかが席を一つ譲られただけだ。それなのに考え始めると止まらなかった。

しかも、座ったら座ったで、別の問題が出てきた。

電車が、なかなか来ない。遅れているらしい。この状態で、もしお年寄りがホームに上がってきたら、今度は私が席を譲らなければならない。譲られた人間が、すぐに誰かへ譲る。字にすると、なんだか間抜けだ。

案の定、しばらくして、杖をついた高齢の男性が、ゆっくり歩いてきた。

私は、さっと立ち上がった。

「よかったら、どうぞ」

すると、その男性は、軽く手を振った。

「いやいや、大丈夫ですよ。次で降りるんで」

そう言って、私の少し先に、普通に立った。

私は、中腰のまま、行き場をなくした。せっかく立ったのに、断られてしまった。仕方なく、また座る。そして、さっきより深く、考え込んだ。

あの人は「大丈夫」と言った。じゃあ、私は、なぜ譲られたんだ。

あのお年寄りが要らないと言った席を、私は当たり前みたいに譲ってもらっていた。だんだん、自分がその席に座っていること自体が、居心地悪くなってきた。

そうこうしているうちに、最初の若い男性が、戻ってきた。

え、と思った。まさか、席を返せということか。身構えたが、男性は私のことは見ずに、ベンチのすぐ横にある、金属の柱のところへ手を伸ばした。柱の陰に、小さな紙袋が置いてあった。それを取りに戻ってきただけらしい。

紙袋を拾い上げながら、男性が、こちらを見て、軽く言った。

「あ、そこ、日陰なんで。さっき、すごい暑そうにしてたから」

私は、ぽかんとした。

「え」

「立ってたとこ、ちょうど日なただったんですよ。そこのベンチだけ、屋根かかってて涼しいんで」

言われて、初めて気づいた。私がさっき立っていた場所は、屋根の切れ目で、まともに日が当たっていた。そういえば、暑くて、手で顔をあおいでいたかもしれない。

男性は、それだけ言って、紙袋を持って、また離れていった。私は一人でしばらく座っていた。あれだけ、なぜ私に、なぜ私に、と考えていたのが、急にばからしくなった。

電車が来た。

私は立ち上がって、乗り込んだ。ドアの近くの窓に、自分の姿がちらっと映った。

車内は空いていて、席がいくつも空いていた。私は今度は誰にも何も考えず、近くの席に普通に座った。

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