十数年ぶりに会った同級生が覚えていたこと

収納ケースを二つ、両手に持って大きさを比べていると、少し離れたところから声がした。

「あれ、田辺さん?」

田辺、というのが自分の旧姓だと気づくのに、麻衣は少し時間がかかった。結婚してからは、もう何年もその名字で呼ばれていない。呼ばれ慣れた響きではなくなっていた。

振り向くと、女の人が立っていた。同じくらいの年格好で、見覚えがあるような、ないような顔だ。誰だっけ、と一瞬、記憶をたどった。

「私、覚えてない? 中学一緒だった、久保田」

久保田。その名前で、ようやくつながった。中学のとき、同じクラスだった子だ。名字を聞いて顔の輪郭が当時のものと重なった。

「あー! 久保田さん。久しぶり」

「久しぶり。うわ、何年ぶりだろ」

そこまでは、よかった。

久しぶり、と言い合って、二人とも少し笑って、それで、次の言葉が出てこなくなった。麻衣は、何を聞けばいいのか分からなかった。仕事のこと? どこに住んでいるか? 結婚しているか? 子どもがいるか? どれも、十数年ぶりに会った相手に、いきなり聞くには、少し重い気がした。

久保田さんのほうも、似たような顔をしていた。口を開きかけて、やめて、という感じ。

「……この辺、住んでるの?」と、麻衣はとりあえず聞いた。

「ううん、今日はたまたま買い物で。田辺さんは……あ、名字変わってるか」

「変わってる。今、別の名字」

「だよね。私もだけど」

そこで、また会話が止まった。

昔は、普通に話していたはずなのだ。中学のとき、久保田さんとは、そこまで仲がよかったわけではない。毎日つるむような親友ではなかった。でも、同じクラスで、何度か一緒に帰ったこともある。それくらいの距離だった。

なのに、今は、何を話していたのかも思い出せない。あのころ、何が面白くて、何を喋っていたんだろう。目の前にいるのは、確かに知っている人なのに、同時に、ほとんど知らない人でもあった。

沈黙が少し続いて、久保田さんが、ふと言った。

「田辺さん、まだトマト嫌い?」

麻衣は、え、と声を出した。

トマト。その一言で、忘れていた記憶が、急に戻ってきた。中学のとき、麻衣は給食のトマトが、どうしても食べられなかった。ミニトマトが出るたびに、皿の端に、最後まで残していた。自分でも、すっかり忘れていたのに。

「うわ、よく覚えてるね、そんなこと」

「なんか、印象に残ってて。毎回、すっごい嫌そうな顔してたから」

「してた?」

「してた。あれだけは、絶対食べないんだって思ってた」

麻衣は笑ってしまった。人生を変えたわけでもない、どうでもいい思い出だ。それを、久保田さんは覚えていて、麻衣自身は忘れていた。

「私、完全に忘れてたわ、そんなの」

「私は、なんか覚えてるんだよね。なんでだろ」

そのトマトの話をきっかけに少しだけ会話が軽くなった。あのクラスの担任が変な人だったこと、教室が北向きで冬すごく寒かったこと。特別な話ではない。ただ、二人とも、断片的にだけ覚えていて、それを照らし合わせるのが、少しおかしかった。

とはいえ、それも長くは続かなかった。昔話は、そんなに在庫がなかった。ひとしきり喋ると、また、間が空いた。二人とも、買い物の途中だった。

「じゃあ、私、そろそろ」と久保田さんが言った。

「うん。会えてよかった」

「またね。えー、今度、お茶でも」

「うん、ぜひ」

そう言ったものの、連絡先を交換するでもなかった。お茶でも、というのは、たぶん、お互い社交辞令だと分かっている。本当にまた会うかは、分からない。久保田さんは、軽く手を振って、園芸用品のほうへ歩いていった。麻衣も、収納ケースの棚へ戻った。

さっきまで見ていた収納ケースを、また手に取る。その並びの、少し先に、園芸コーナーがあった。ミニトマトの苗が、ポットに入って、いくつか並んでいる。

麻衣は、少しの間、その苗を見た。

昔は、あんなに嫌いだった。今は、普通に食べる。サラダに入っていれば、なんとも思わずに食べている。いつから食べられるようになったのかは、覚えていない。ただ、嫌いだったことだけは、たった今、思い出したばかりだった。

麻衣は苗の前を通り過ぎて、収納ケースの大きいほうを、カートに入れた。

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