コインランドリーの壁の時計を見上げてまた思った。この時計、また三分早い。
洗濯機に洗剤を入れながらスマホの時刻と見比べる。夜の九時二分。壁の時計は九時五分を指している。前に来たときも、その前も、だいたい三分くらい進んでいた。最初は電池が弱ってるのかと思ったけれど、何ヶ月経ってもぴったり三分だから、たぶんそういうものなんだろう。
この店を使うようになったのは去年の秋くらいだ。うちの洗濯機だと毛布が入りきらなくて、住宅街の奥にあるこの古いコインランドリーまで来るようになった。乾燥機が四台と洗濯機が三台。蛍光灯が一本だけ少しチカチカしている。カウンターには両替機と、たまに人がいる。
その日は誰もいなかった。乾燥が終わるまで丸椅子に座ってスマホをいじっていた。壁の時計がコトコト鳴っている。三分早い時計。べつに直してくれとも思わないし、直っていたら直っていたでなんとなく物足りない気もする。
乾いた毛布を抱えて外に出たら、ちょうど横断歩道の信号が青に変わったところだった。小走りで渡りきる。振り返るともう赤になっていた。時計につられて少し早く動いたからだと気づいて、なんだかおかしかった。
それからたまにそういうことがあった。
会社帰りに寄っていつもより早く洗濯物を取り込んで帰ったら、ちょうど宅配便の再配達に間に合った。別の日は乾燥機の前でぼんやりしていたら、隣で待っていたおじいさんが「もう終わってるよ、あんたの」と教えてくれて、二人でちょっと笑った。時計のせいで人生が変わるなんて話じゃない。ただ三分ぶん、いつも少しだけ余裕がある気がした。
そのうち私は店に入るとまず時計を見てスマホと見比べるのが癖になっていた。三分早いことを確認するとなんとなく安心した。今日もちゃんと三分早いな、と。
秋が深まって上着を一枚多く羽織るようになった頃だった。
いつものように店に入って壁を見上げて、あれ、と思った。時計が変わっていた。
前のは文字盤が少し黄ばんだ丸い時計だったのに、白くて四角い新しいものになっている。スマホで時刻を確かめる。九時十一分。壁の時計も九時十一分。ぴったり合っている。
正確だ。当たり前のことなのに、私はしばらくその時計を見ていた。合っていると頭では分かるのに、なんだか落ち着かなかった。三分早くない時計は私の知っている時計じゃない気がした。自分でも、ずいぶん妙なことを気にしているなと思った。
カウンターに人がいたので洗剤を買うついでに聞いてみた。五十歳くらいの女の人だった。無愛想でもないけれど、愛想がいいわけでもない。
「あの、時計、変えたんですね」
「ああ、あれね」女の人は手を止めずに言った。「古いのが止まっちゃって。ずっと三分早かったでしょ、あれ」
「はい、知ってました」
「前にここやってた人がね、わざとそうしてたらしいのよ。客が慌てないように、ちょっとだけ早くしとくって」
「早く……ですか」
「せっかちな人だったって聞くけどね。まあ本当かどうかは知らないけど」
女の人はそれ以上詳しく話さなかったし、私も聞かなかった。前にここをやっていた人がどんな人だったのか、今はどうしているのか、そういうことは分からないままだった。ただあの三分は誰かがわざと三分にしていたんだ、というだけが残った。
新しい時計はその後もずっと正確な時刻を指していた。私は相変わらず毛布を洗いに来て、乾燥機の前で丸椅子に座って待った。正確な時計を見てももう見比べることはしなくなった。合っているのが分かっているからだ。
その夜、家に帰ってからなんとなく自分の部屋の時計を眺めた。壁掛けの電波時計。当然、正確だ。スマホも正確だ。この部屋には三分早いものなんて一つもない。
次の朝、いつもより少しだけ早く布団を出た。三分だったかどうかは分からない。ただいつもよりコーヒーをゆっくり飲めて、駅までの信号にも引っかからなかった。それだけのことだ。
たぶん明日には忘れているだろうと思いながら私はいつもの電車に乗った。
