店のドアを開けると、いつもの店員が「いらっしゃいませ、お好きな席どうぞ」と言った。
私はいつもの窓際へ向かおうとして、そちらを見た。
先客がいた。
一人の男性が、私がいつも座っている、あの窓際の席に座っていた。ノートを広げて、何か書いている。当然、その人には何の落ち度もない。空いている席に座っただけだ。あそこは私の席でもなんでもない。それでも、私は入口で一瞬、止まってしまった。
駅から少し歩いたところにある、小さな喫茶店だ。私は月に何度か、休日にここへ来る。毎週というほどでもないので、常連というのも、少しおこがましい。ただ、来るときは、いつも同じ窓際の席に座っていた。
理由は、特にない。景色がいいわけでもない。窓の外は、向かいの建物の壁が見えるだけだ。椅子が特別に座りやすいわけでもない。最初に来たとき、たまたまそこが空いていて、そこに座った。それから、来るたびに、なんとなく同じ場所を選んでいた。ただ、それだけのことだった。
でも今日は、使えない。
私は仕方なく、店の中ほどにある、二人がけの席に座った。コーヒーを頼んで、荷物を置く。落ち着かなかった。座る場所が違うだけなのに、なんだか自分の家じゃない場所にいるような、妙な収まりの悪さがあった。
その席から見る店内は、いつもと少し違って見えた。
壁の時計が、こっち側からだと正面に見える。いつもの席からは、たしか、斜めにしか見えなかった。厨房の入口はここからだとよく見えて、店員が出たり入ったりするのが分かる。窓の外の景色も、当然、いつもとは違う角度だ。
私は少し意外だった。何度も来ているのに、この店に、こんな見え方があることを、知らなかった。いつも同じ席から、同じ方向だけを見ていたらしい。
コーヒーを半分ほど飲んだころ、窓際の男性が、ノートを閉じて、帰り支度を始めた。
席が、空いた。
移動しようか、と一瞬思った。今からでも、あの窓際に移れる。いつもの席だ。でも、コーヒーはもう半分飲んでいるし、荷物も広げてしまった。わざわざ持って移動するのも、なんだか大げさな気がした。
ちょうど通りかかった店員が、気を利かせて言った。
「窓際、空きましたよ。よかったら」
私が窓際に座る客だと、覚えていたらしい。
「あ、大丈夫です。ここで」
そう答えてから、自分でも少し意外だった。いつもなら、迷わず移っていたかもしれない。でも、今日は、この席のままでいいと思った。
言われてみれば、この席は、この席で悪くなかった。厨房から少し離れているせいか、音が静かで、持ってきた本を読むにはむしろ集中できる。空調の風も、直接は当たらない。窓際は、たまに冷房が強く感じることがあったのを、今、思い出した。
私は本を開いて、残りのコーヒーを飲みながら、しばらく読んだ。
それから何週間かして、また同じ店に来た。
「いらっしゃいませ、お好きな席どうぞ」
今日は窓際の席が空いていた。いつもの、私の席。誰も座っていない。
私は、そちらを見た。それから、この前座った、中ほどの席のほうも、見た。
少し、迷った。
以前の私なら、迷わなかったはずだ。窓際に、まっすぐ向かっていた。それが今日は、一瞬、どちらにしようか、と考えた。それだけのことだ。それだけのことだけど、自分では、少しおかしかった。
私は少し迷ってから、席へ向かった。

