収納ケースを二つ並べて、深さを見比べていた。少し離れたところから声がした。
「もしかして、村田さん?」
村田というのが自分の旧姓だと気づくのに由香は少し遅れた。結婚してから、その名字で呼ばれることはもうない。耳が、すぐには反応しなかった。
振り向くと、同じくらいの年の女の人が立っていた。見覚えがあるような、ないような顔だ。誰だろう、と一瞬、頭の中を探った。
「私、西野。中学一緒だったんだけど」
西野、と言われて、ようやくつながった。中学のとき、同じクラスにいた子だ。名前と一緒に、当時の顔立ちが、目の前の顔にじわっと重なった。
「あー、西野さん。うわ、久しぶり」
「久しぶり。何年ぶりだろうね、これ」
そこまでは、よかった。
久しぶり、と言い合って、二人で少し笑って、それで、次に続く言葉が出てこなくなった。由香は、何を聞けばいいのか分からなかった。仕事のこと。住んでいる場所。結婚しているかどうか。子どもがいるか。どれも、十数年ぶりに会った相手にいきなり切り出すには、少し踏み込みすぎる気がした。
西野さんのほうも、似たような顔をしていた。何か言いかけて、やめる、という感じだ。
「この辺、住んでるの?」と、由香はとりあえず聞いた。
「ううん、今日はたまたま。ちょっと棚がほしくて」
「あ、そうなんだ」
そこで、また会話が途切れた。
昔は、普通に喋っていたはずなのだ。中学のとき、西野さんとは、そこまで仲がよかったわけではない。毎日つるむような親友ではなかった。でも、同じクラスで、何度か一緒に帰ったこともある。それくらいの距離だった。
なのに今は何を話していたのかまるで思い出せない。あのころ、二人で何を喋って、何を笑っていたんだろう。目の前にいるのは、確かに知っている人なのに、同時に、ほとんど知らない人でもあった。
沈黙が少し続いて、西野さんが、ふと言った。
「村田さんってさ、あの、体育祭の集合場所、間違えてなかった?」
由香は、え、と声を出した。
その一言で、忘れていた記憶が、急に戻ってきた。中学の体育祭のとき、由香は集合場所を間違えて、一人だけ全然違うテントの前で待っていた。しかも、そのとき一緒に間違えたのが、西野さんだった。二人でぽつんと、違う場所に立っていた。すっかり忘れていたのに。
「うわ、あった。西野さんも一緒に間違えたよね、あれ」
「そうそう。二人で、あれ誰もいないねって」
「よく覚えてるね、そんなこと」
「なんか、それだけ妙に覚えてるんだよね。なんでだろ」
由香は笑ってしまった。人生を変えたわけでもない、どうでもいい出来事だ。それを西野さんは覚えていて、由香自身は忘れていた。
「私、完全に忘れてたわ」
「私も、それ以外はあんまり覚えてないんだけどね」
その集合場所の話をきっかけに少しだけ会話が軽くなった。担任がやたら声が大きかったこと、教室のうしろのロッカーがいつも開かなかったこと。特別な話ではない。ただ、二人とも断片的にだけ覚えていて、それを突き合わせるのが、少しおかしかった。
とはいえ、それも長くは続かなかった。昔話の在庫は、そんなに多くなかった。ひとしきり喋ると、また間が空いた。二人とも、買い物の途中だった。
「じゃあ、私、そろそろ行くね」と西野さんが言った。
「うん。会えてよかった」
「またね。今度、お茶でもしようよ」
「うん、ぜひ」
そう言ったものの、連絡先を交換するでもなかった。お茶でも、というのは、お互い、たぶん社交辞令だと分かっている。本当にまた会うかは分からない。西野さんは軽く手を振って、日用品のほうへ歩いていった。由香も、収納ケースの棚へ向き直った。
さっきまで見ていたケースを、また手に取る。二つを並べて、もう一度、深さを見比べた。しばらく迷ってから、由香は大きいほうを、カートに入れた。

