料理教室が終わって、片づけを済ませて麻里は自分の保存容器を鞄に入れて帰った。
その日の教室ではいくつかの料理を作り、それぞれ好きなものを詰めて持ち帰ることになっていた。麻里が容器に入れたのは鶏肉のトマト煮だった。家に帰って、少し小腹が空いていたので蓋を開けてそのまま一口食べた。
味が違った。
トマトの酸味を想像していたのに、口に入ったのは醤油と生姜の味だった。豚肉の生姜焼きだ。麻里は箸を止めて容器を見直した。同じ半透明の四角い保存容器。どこにでもある、たぶん同じ店で売っているやつだ。中身だけが違う。
取り違えたらしいと気づいた。片づけのとき、調理台の端に何個か同じ容器が並んでいた。そのどれかと間違えたのだ。
誰のだろうと思ったが、教室の参加者の顔を全部は思い出せなかった。生姜焼きを詰めていた人。心当たりはあるようなないような。とりあえず一口食べてしまった生姜焼きを、麻里は蓋をして冷蔵庫にしまった。自分のトマト煮は、今ごろ知らない誰かの家にある。
翌週。
教室に着くと、入口のところで一人の男性が保存容器を手に、少し困った顔で立っていた。四十歳くらいの、地味な感じの人だ。前にも何度か見たことがある。目が合って、向こうが先に気づいた。
「あの、もしかして」
「あ」
麻里も鞄から容器を出した。並べてみると、まったく同じものだった。
「これ、たぶん」
「そうですね。すみません、間違えて持って帰っちゃって」
交換した。それで終わるはずだった。ところが男性が、少し言いにくそうに続けた。
「あの、一口だけ食べちゃったんですけど。気づかなくて」
麻里は思わず笑いそうになった。というのも、自分も同じことをしていたからだ。
「私もです。生姜焼き、一口食べました」
男性は少しほっとした顔をして、それから言った。
「どうでした、味」
「おいしかったです。ちゃんと生姜が効いてて」
「よかった。あれ先生のレシピそのままなんですけど」
「そうなんですね。私のトマト煮は」
「あ、あれもおいしかったです。正直、こっちのほうがおいしかったかも」
言ってから、男性は自分で少し慌てたようだった。麻里も、なんと返したものか分からず、とりあえず「ありがとうございます」と言った。それだけのやり取りだった。教室が始まって、二人は別々の調理台についた。
それから、顔を合わせると少し話すようになった。
毎週、席が隣になるわけではない。連絡先も知らない。名前も、下の名前は知らないままだ。教室が終わればそれぞれ帰る。それでも、調理の途中ですれ違うと短い言葉を交わすようになった。
「今日、焦がしました」
「僕もです。火加減、難しいですね」
その程度のことだ。相手が何の仕事をしているのかも、どこに住んでいるのかも知らない。ただ、料理の失敗の話だけをする。
そのうち麻里は教室に来ると、あの人は今日いるかなと入口で少し探すようになった。いれば軽く会釈をして、それだけで、あとは自分の台に向かう。べつに、それ以上どうということもない。ただ、いると少し気が緩む感じがあった。
晩夏になって、日が落ちるのが早くなってきたころ。
ある週、その人が来なかった。
麻里は自分の台で野菜を刻みながら、なんとなく入口のほうを何度か見た。始まる時間を過ぎても来なかった。欠席らしい。それだけのことなのに、いつもより教室が少し長く感じた。
心配というほどではない。連絡先も知らないのだから、確かめようもない。ただ、当たり前にいると思っていた人がいないと、こんなに手持ち無沙汰なものかと、自分でも少し意外だった。
翌週、その人は普通に来ていた。
「先週、いなかったですね」と麻里が言うと、相手は「残業でした」とだけ答えた。
「ああ、そうなんですね」
それで終わりだった。理由を詳しく聞くこともなかったし、向こうも説明しなかった。ただ、その週の麻里は、いつもより少し集中して料理を作れた気がした。
その日の教室が終わって、外に出ると雨が降っていた。
夕立の名残のような、細かい雨だった。麻里は鞄から折りたたみ傘を出そうとして、入れ忘れたことに気づいた。軒下で少し迷っていると、あの人が横に立った。
「傘、あります?」
「それが、忘れちゃって」
「駅まで、そんなに濡れないと思いますけど」
そう言いながら、相手も傘を持っていないようだった。二人で軒下から空を見上げた。雨はそれほど強くない。歩けば駅までは五分ほどだ。
「駅、そっちですよね」と麻里が言った。
「あ、はい。同じ方向ですね」
どちらからともなく、二人は歩き出した。雨は細かくて、思ったより濡れなかった。並んで歩きながら、今日の教室でまた焦がした話をした。他愛のない話だった。
駅に着いて、改札の手前で立ち止まった。使う路線が違うらしい。
「じゃあ、ここで」と相手が言った。
「はい」
少し間があって、相手が言った。
「来週も、来ます?」
「行きます」
麻里はそう答えた。来週もあの人がいて、また焦がした話をするのだろう。そう思っている自分に、少しだけ気づいた。
改札を抜けて振り返ると、相手はもう反対のホームへ向かっていた。麻里も自分のホームへ歩いた。雨はもうほとんど止みかけていた。
※この物語はAIを活用して制作したオリジナルフィクションです。

