昼過ぎの食堂に入ると、今日もあの職員さんがいた。
窓際のいつもの席。ノートパソコンを開いて、時々コーヒーを飲みながら画面を見ている。私は心の中で「今日もいるな」と思いながら、少し離れた席にトレーを置いた。
その人を大学職員だと思うようになったのがいつからなのかは自分でもよく覚えていない。たぶん、一年生の後半くらいから、なんとなくそう思っていた。
理由は、これといって強いものはない。いつも同じ時間に食堂にいる。学生よりは少し年上に見える。三十代くらい。パソコンを開いて、何か作業をしている。ときどき、大学の名札みたいなものを下げた人と話していることもある。それくらいだ。
でもそのくらいの材料で、私の中ではもう完全に「職員の人」になっていた。事務の人か、あるいは研究室で働いている人か。名前は知らない。話したこともほとんどない。ただ、食堂で顔を合わせる「職員さん」。それだけの存在だった。
接点がまったくないわけではなかった。
席が近いことが多いので、目が合えば会釈はする。一度、私が財布を落としたとき、拾って渡してくれたこともある。混んでいる日に「詰めますね」と席をずらしてくれたこともあった。その程度の、本当に浅いやり取り。
ある日、私は困っていた。
ゼミで出す書類を、どこの窓口に持っていけばいいのか分からなかった。教務課なのか、学部の事務室なのか。友達に聞いても、みんな知らないと言う。掲示を見ても、いまいち要領を得ない。
そのとき、いつもの席にあの人がいるのが目に入った。
職員さんなら、こういうのは分かるはずだ。私はしばらく迷ってから、思い切って近づいた。
「すみません」
その人が顔を上げた。
「これ、どこに出せばいいか、分かりますか」
私は書類を見せた。その人は書類にちらっと目をやって、それから、少し困ったような顔をした。
「ごめん、俺も分からないな、それは」
「え?」
一瞬、意味が分からなかった。職員さんなのに分からないのか、と思って、それから、あれ、と思った。
「あの……職員の方じゃ、ないんですか」
「職員? いや、違うよ」
その人は少し笑った。
「大学院生。別の学部だけど。この食堂、静かだからよく来てるんだ」
大学院生。職員ではなく、学生だった。私はしばらく、書類を持ったまま固まっていた。何か月も、ずっと職員さんだと思っていた人が、職員ではなかった。
「ずっと、職員の人だと思ってました」
つい、口に出してしまった。その人は「なんで?」という顔をした。
「なんでって……」
考えてみても、はっきりした理由がない。いつもいるから。パソコンを開いているから。少し年上に見えるから。どれも、決め手というほどではない。
「なんとなく、です」
「なんとなくか」
その人は、おかしそうに笑った。
「こっちは、君のこと普通に学生だと思ってたよ」
「あ、学生です。二年です」
「うん、だよね」
当たり前のことを確認してしまって、会話が少し噛み合わなくなった。私は学生で、それは合っている。向こうも学生だった。ただ私だけが、勝手に片方を職員にしていた。
書類の出し先は、結局その人も分からなかったので、私は食堂を出て、教務課で普通に聞いた。教務課で合っていた。
それからも、私とその人は、食堂でたまに顔を合わせた。
私の中では、もう「職員の人」ではなくなっていた。かといって、名前を聞くほどの間柄でもない。強いて言えば「あの、職員じゃなかった人」だ。会えば前より少しだけ会釈がしやすくなった。それくらいの変化だった。
初夏のよく晴れた昼だった。
私がトレーを持って空いた席を探していると、あの人が窓際から声をかけてきた。
「学生さん、ここ空いてるよ」
私は近づいて、向かいの席にトレーを置いた。
「学生です」
言ってから、なんでわざわざ言い直したんだろう、と思った。その人は、少しおかしそうに、
「知ってる」
と言って、またパソコンに目を戻した。
私はうどんを食べながら、ふと、少し離れた席で分厚い本を読んでいる白髪の男性が目に入った。あの人は、たぶん、教授だ。
そう思ってから、私は自分でおかしくなって、うどんをすすった。

