展示されている棚の前で、俺はさっきから巻尺と格闘していた。
棚の横幅を測ろうとしたら、備え付けの巻尺の金属テープが途中でねじれて、うまく戻らなくなった。伸ばしても戻しても途中でくにゃっと折れる。片手で押さえて反対の手で直そうとするのだが、そのたびに別のところがねじれる。
「そっち持ちます?」
横から声がした。六十くらいの女の人だった。近くで別の家具を見ていたらしい。
「あ、すみません」
女の人が巻尺の先を持ってくれて、俺がねじれた部分を伸ばした。二人でやるとあっさり元に戻った。テープがまっすぐになって、するすると巻き取られていく。
「直りましたね」
「はい、どうも。一人だとどうにもならなくて」
それで終わるはずだった。女の人は自分の見ていた家具のほうへ戻りかけて、俺はあらためて棚の幅を測ろうとした。ところが、巻尺を伸ばして端を棚の左に当てると、右まで届かせる間にまた先が落ちる。押さえる手が足りない。
「持ちましょうか、端」
女の人が戻ってきて、また先を持ってくれた。
「そこ、何センチです?」
「えっと……九十二」
「九十二」
女の人が復唱して、俺は数字をスマホにメモした。ついでのように、女の人が言った。
「私も一個測りたいんだけど、いいですか。そこのテーブル」
「あ、どうぞどうぞ」
今度は俺が、女の人の見ていたテーブルの端を押さえる番になった。女の人が反対側まで巻尺を伸ばす。
「百二十……ちょっと待って、ずれた」
「もう一回いきましょう」
なんだかいつの間にか二人で測る流れになっていた。俺の棚、女の人のテーブル、その隣にあった小さな収納。どっちの買い物なのか分からないくらい、交互に端を持ち合った。
そのうち、数字が合わなくなってきた。
「そこ、九十一・五」
「え、九十二じゃないですか」
「九十一・五ですよ。ほら、ここ」
「いや、俺には九十二に見えます」
二人で顔を近づけて巻尺の目盛りを覗き込んだ。真剣に。初対面の人間が二人、家具屋で一センチ以下の攻防をしている。もう一回測り直した。九十一・八くらいだった。どっちでもなかった。
「じゃあもう一回」
三回目を測ろうとしたとき、女の人がふと棚のほうを見て動きを止めた。
「……ここ、書いてありますよ」
商品の表示タグに寸法が印字されていた。幅九十一・五センチ。奥行きと高さも、全部書いてある。
俺と女の人は、しばらくそのタグを見た。
「最初から、ここ見ればよかったですね」
「ほんとですね」
二人で笑った。あれだけ真剣に測り合っていたのに、答えは最初からぶら下がっていた。俺はメモした数字を消して、タグの数字を打ち直した。
それで、だいたい買う物は決まった。俺は棚をこれにすると決めたし、女の人もテーブルのサイズに納得したようだった。
「じゃあ、私こっちなんで」
「あ、はい。どうも」
女の人は収納コーナーのほうへ、俺はレジ方向の別の売り場へ歩き出した。名前も聞かなかったし、何をしている人かも知らない。ただ、十分か十五分、一緒に巻尺を持っていただけだ。
少し歩いて、俺はもう一つ、小さなラックが気になった。これも幅を測っておこうかと巻尺を伸ばして――端を押さえる人がいないことに気づいた。
さっきまで当たり前のように誰かが反対を持ってくれていた。一人だと、片手で端を押さえてもう片方で目盛りを読むのが、妙にやりにくい。テープがまた落ちそうになる。
近くに、若い男が一人、ラックを見ていた。
俺は一瞬迷って、それから言った。
「すみません、ちょっと端だけ持ってもらっていいですか」
男は「あ、はい」と、特に不思議がるでもなく先を持ってくれた。俺は反対側まで伸ばして、目盛りを読んだ。
「六十五です」
「六十五ですね」
それだけのことだった。男は先を離して、また自分のラックを見に戻った。俺は数字をメモして、次の売り場へ向かった。

